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聖戦士としてならワンチャンあると思う

宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち感想-愛が生きる答えならいいのにね

 本題に入る前に二つ話をさせてください。

 まず一つ目は無敵超人ザンボット3の話です。本題ではないので雑に話しますが、僕は最後の勝平が地球に帰ってきた寂しさと絶望に打ちひしがれ眠った際、香月とミチを中心に人が集まってくるシーンで本当に救われた気持ちになりました。しかしこの前、実はアレは最後に残った宇宙人を殺そうと群衆が駆け寄ったって話をやろうと思ったみたいな話をネットで見て(あまりにも衝撃でどこで見たかもなんの媒体でやろうとした話かも覚えてないです。間違いだったら間違いがいいな)人類どうしようもねぇな!っていう憤りとむなしさと脱力感を感じていました。

 二つ目は重戦機エルガイムの話です。これに関しては見た当時からなのですが、妹をレーダー代わりにしてアマンダラ・カマンダラを探す展開が本当に最悪だと思っています。別に話の粗を指摘したいわけではなく、妹を探す為に始めた旅の最後が巨悪を倒すために巨悪と同じく女を、それも自分の目的だった妹を使い、その結果一生治らない精神障害を残した所です。あまりにもあんまりでしょう、優しさが生きる答えならいいのにねって言葉が虚しく響く。

  本題です、ヤマト2202七章を見てきました。アニメでちょうど七章前までやってから劇場公開だなんて商売が上手い、朝一で見に行かなきゃって義務感に駆られました。

 愛があるから人は苦しむ、それは何故でしょう。答えは全ての人間が全ての対象に対して思いを同じにしないからです。ミルがデスラーの部下に殺されたのが全てを物語っています。ズォーダーにとってミルは愛する息子であり、デスラーの部下にとってミルは敬愛すべきデスラーの目の前にいる一番の脅威であり彼らの愛するものを守る為には一瞬たりとも生存を赦すべきではありません。この展開は2202で最も愚かな悲劇ではありますが、それは戦場で常に起こり続けている事でしょう。ミルに対し銃を向けない勇気を語った古代もその後波動砲で敵艦隊と白色彗星の防御壁(?)を破壊し、桂木を敵へのジャミング装置として使いその結果彼女を殺す事になります。コスモリバースシステムを戦闘兵器に搭載という銀河とやっている事は変わりません。しかしそれも、人類を守る為には必要な措置であることは確かです。

 波動砲の禁を破り、波動砲を敵艦隊へ直撃させ、生きている人間を兵器として組み込む。視聴者の視点から言えば、それでも仕方ないというしかないでしょう。どれか一つでも欠ければヤマトは沈み、地球はガトランティスの手に落ちていました。しかし、ただ約束を守れる、困ってる星の人間がいれば手を差し伸べられる、そんな人類でありたいと願いヤマトで旅立つという決断をした男に対してはあまりにも酷い決断の連続でしょう。こんな妥協を重ね、こんな欺瞞を重ね、そうまでして地球人類という種を守らなきゃいけないのでしょうか。全ての戦いが終わった後、古代が森の思いすら拒絶し高次元の奥で打ちひしがれ地球への帰還を望まなくなるのも仕方が無いでしょう。絶望に絶望の上塗りをしたくない。しかし、地球人類はそこまで愚かではない。

 古代と森を救う方法はただ一つ、ガトランティスとの戦いの際工廠として活躍し、これがなければこれからの軍拡の速度がとてつもなく差が出る時間断層の放棄。どう考えても割に合わないでしょう。ガミラス・ガトランティスと二度も滅亡の危機を迎え、戦艦のほとんどが撃沈した今の地球には絶対になくてはならないものです。二人を救うためとしての代価として完全に見合ってない。時間断層を残すか、二人を救うか。全市民による投票の際に真田さんは古代を英雄ではなく、我々と同じだといいます。理想に燃え、挫折し、妥協し、苦悩するどこにでもいる我々と同じだと。そんな自分を救いたいなら、その愛が人類にあるなら。

 古代も大いなる和の内の一部であり、そして我々も同じ一部なのでしょう。現実は厳しく、愛もすれ違い消えてしまう弱いモノだとしても、最後の決断は愛であるべきなんでしょう。その優しさが消えない限り、人類という種に絶望する必要が無いのです。

 上の二作品も、もちろん考えさせられるところもあり、また人類の側面を描いている事は間違いないでしょう。それでも、古代という愛の戦士を受け入れる愛の戦士たちがいるという事実は、希望であり人類の本質であって欲しいと僕は願います。ヤマト2202面白かったです、ありがとうございました。

  現実的な判断を下す人間は必要だし、その人間の中にも愛があるという事実はちょっとだけ優しくなれる気がしますね。